地域にいる大人が市内の公立高校に行って生徒たちと話をするという企画があった。彼らが興味がある職業のこと、起業や好きなことを見つけること、夢を持つこと、みたいなテーマで自己紹介をしたのちにもらった質問に対して僕も受け答えする。

島根はシャイでおとなしい子が多いから質問が出なかったり、なにを話していいかわからないという気持ちがあるだろうなと想像していた。なんとかがんばって質問を考えてくれたんだねと思いつつ、時間の限り話せるだけ話した。大体こういうのってあっという間に終わってしまうんだけど。10代の子にわかりやすく伝えるというのはちょっとしたコミュニケーションのトレーニングだ。

自分のあの頃を振り返ると自分の父親くらいの世代の人と話すことなんて滅多になかったし、出会いたい、話を聞きたいだなんて思ったこともなかった。部活とバンドと友達と遊ぶのにほとんどの時間を使っていたし、深夜のロック番組のTVやラジオ、音楽雑誌(貴重な情報源だった)に夢中だった。今思えばロックミュージシャンのインタビューを読むことが「大人の話を聞く機会」だったんだと思う。今はメディアで溢れてる時代だし、今ならYouTubeでちょっと探せば教養や体験談、スキルの解説とかためになる番組は無数にある。

今は大人が子どもに(生徒に)「〜せよ」「〜しなければいけない」というまるで師弟のような関係性は全くなくて、とことん個人が尊重される時代だ。会社においては年功序列どころかZ世代の人にミュートされることを恐れるような節もある。おじさんおばさんと思われたくとか引かれたくないことの裏返しなんだろう(笑。教室での先生の発言や全体の中での先生の話にそういう今の時代の10代の子に対する気遣いを感じる。そこで「昔はこうだった話」をするとウザいおっさんになってしまう。気をつけないとなあ。。次世代の人との関わりがあるのなら自分の常識とか自分の中でのルールをいつまでも信じてると取り残される(ドン引きされる)という気づきを得ることが僕なりの収穫だった。

そういう気遣いみたいなことを多少なりとも気にしておかないと若い世代とコミュニケーションすることは年齢がいけばいくほど難しくなる。残念ながら今の時代に生きている限り、今の時代の常識を無視することはできない。そして若い世代の存在は主役級だから尚更だ。

移住した当初のことや移住の理由、起業したときのことや現在のことを話すシーンはたまにあるんだけど、今もその当時から思っていることや感じていることは全く変わっていないとはいえ、今の時代にこれを言ったら相手はどういうふうに受け取るかなということを想像しておかないと伝わるものも伝わらなくなっちゃいそうだ。

こうやって自分もまだまだ場面や相手によってアジャストできるように柔らかくありたいなと思った次第。