大学のキャリアデザイン専門の先生とちょっとした打ち合わせがあった。昨年同様のシリーズで学生に戸田耕一郎というサンプルのこれまでのストーリーをお話させてもらい、「へえ、そんな働き方や生き方があるのね」ということを彼らに伝える機会を与えられている。彼らと出会うことを想像しながら、お伝えしたいことを書きたくなった。

 

キャリアデザインとは自分の職業人生を構想し、設計することだ。文字通り自分のライフスタイル全般含めてデザインすることである。この言葉が出てきたのは文科省によれば90年代の終わり頃で、正確には「キャリア教育」という言葉の提唱があった。その頃と言えばインターネットが急速に普及し、グロバリゼーションの概念が一気に広まっていった時期で、まさに世界が大きく変わりはじめた頃だった。ちなみに僕が大学生の頃にはキャリア教育という授業はなかったし、概念そのものも知らなかった。

ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括的な社会)という言葉が多く使われている昨今、そもそもこういう概念のはじまりは世界には様々な常識や価値観があって、何より「多様な人」がいることを社会インフラとしてのインターネットによって認識することができたことに端を発しているのではないだろうか。それまで知識や情報はマスメディアでしか知ることができなかったし、今思えばだいぶバイアスが掛けられていたようにも思う。可視化社会である現代だからこそ、世界は広く、多様であることを理解することができた。そして多様であることを社会全体で受け入れていくことが大切なのでは?という社会を目指す人たちが出始めた。

取り立てて言うほど今の僕は大学生と接点はないけれど、彼らがどんなことに迷い、悩み、興味を持っているんだろうということにちょっと関心がある。

 

失敗を怖がることこそ、恐怖です。

本田技研工業を一代で築いた本田宗一郎の名言の一つに『チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。』とあるけれど、本当にそう思う。人生は一度切りで何をやるにも自分の自由で、やりたいことをより加速させてくれるためのソリューションというか便利なツールやサービス、コンテンツがありとあらゆるところにゴロゴロ転がっている。SNSで世界の誰とでも会えるし、何かをするのにできない理由を探すことの方が大変だ。本当に世界はあなたのために拓かれていると言っても過言ではないし、僕も日々恩恵を受けている。可能性がありそうなことばかりで逆に頭が沸騰しそうになるほどだ。

後悔ほどつらいものはない。「あのとき、あれをしておけばよかった。」というフレーズは残酷だ。しかしそうさせてしまうのは自分だ。これは歳を重ねてより思うことなのだけど、「いかに時間が大切か」ということに尽きる。時間だけは人間にとって平等に与えられたもので、過ぎた時間を取り戻すことは絶対にできない。本当に本当に貴重なもの、それが時間なのだ。

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できるとき、やりたいと思ったときが人は一番頑張れる。そのタイミングに何もしないなんて本当にもったいない。動けない理由はなんだろう?

かつては第二の人生という言葉とともにサラリーマンを終えた後に、独立起業しようみたいな時代があった。今は違う。サラリーマンをやりながら副業できるし、若くして起業することだってできる。一流大学に入った後にさっさとやめて起業する若者だって珍しくない。何をやっているかよくわからない職業の人や、聞いたこともない肩書きを持つ人、どうやって稼いでいるのかさっぱりわからない人もいる。それでも自由に生きたい人は自分のそれを優先する。良いか悪いかは一概に言えないけれど、思い立ったらなんでもOKな時代であることは間違いないし、行動したものだけが何かを得ることができるフェアな時代であることだけは今も昔も変わらない。

それでも「失敗が怖い」と思う学生もいる。なぜか。簡単だ。人の目を気にするからだ。「お金を失う?」「友人や知り合いに笑われる?」「自分に自信が持てなくなるのが怖い?」

これらはすべて自分が勝手に思い込んでいるだけなのだ。僕が彼らについて言いたいことは「そういう思い込みから解き放たれた瞬間に地球は自分を中心に回り出すんだよお!」ということだ。僕は身を持って体験しているし、ここ10年いやなことが身の回りに起きなくなった。それは他人を気にしなくなったからだ。(念のため言うけど、自己中とは違う。)そして自分の信じる道を見つけ、ブレずに歩き続けようと思ってるからだ。変な人が近寄ってくることも、変な仕事が来ることも皆無。そして今の自分に適切な経済力を持てるようになりつつある。

それまでは他人を気にしていた人生だったし、人の顔色を伺ったり、どこか他人のために生きているような人生だった。そこから思い切ってドロップアウトした。電車から飛び降りるように。その日から人生の景色が180度変わった。それができたのは29歳くらいだったけど早く気づけてよかった。

「好きなことを見つける」「好きなことを仕事にする」という耳障りのいいフレーズが世の中に溢れている。いや、僕もそのフレーズをそのまま多用するんだけど。「それができないから(見つからないから)苦労してるんじゃん!」と言われるとたしかにそうだよね、としか言えなくなる。こればっかりは出会いやご縁だとも言える。それでも僕は自分のキャリアデザインを「リ・デザイン」する欲求が高かったし、心の底からそういう自分を渇望していたから必死に探し求めていた。不思議なもので、そういう自分を満たせるのものはお金でもなく、友達でもなく、恋人でもなく、トンネルの先に見える自己実現への道の微かな光だけだった。(もっと知りたい人は『マズローの欲求5段階説』を調べるといい。)

だから、もっと自分の欲求に正直になろう。自分が求めているものが何なのかを自分がまず知ろう。社会をよくしたいと言う前にもっと自分のために生きよう。

SNSがネガティブな意味で気になるならやめちゃえば?と思う。こう言ったら何だけど、Facebookで流れてくるもののほとんどはノイズです。僕はもう何年も前にすっかりFacebookとは距離を置いたけど、全く困ることもないし、友人関係は良好、仕事も問題なく、なにひとつ不自由はない。結局SNSは僕にとってそんなもんだった。

心地よくない人間関係は迷わず断ち切る。夢中になることに出会えるまで足を使って動き、見聞を広げる努力をする。周辺のリアル社会に友人がいないことを恐る必要はまったくない。そういうときはインターネットを使おう。世界のどこかにはあなたにぴったりの友人、インスパイアされるモノやコト、憧れを抱くほど素晴らしい人が必ずいる。僕自身もまさにそうで、世界中にいる優秀なクリエイターYouTuberは今日も僕を元気にしてくれる。

もうおわかりだろうと思う。すべて「自分の意思決定」なのだ。知ることからはじまり、選択し、意思決定する。人生はその連続だ。それができるようになったら自分のキャリアデザインの扉が開かれ、向こう側には心地よい陽射しが差し込んでくる。最高の瞬間だ。そのとき「失敗が怖い」などときっと思わない。なぜなら自分の人生を生きようと自分に対して決めているからだ。自分の人生を制約なしに好きにデザインできるだなんて、どれだけ素晴らしいことなんだろう?それが自由にできるこの国に生まれたことに感謝してもいいんじゃないか?

もう一回書こう。『チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。』

 

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安定などこの世に存在しない

自然環境は、生物多様性と自然の物質循環が基礎となり、生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立っている。自然に逆らう人がいないのは、それ自体が動かしようもない仕組みだからだ。そして「自然であることが一番いい」という風に我々は思っている。

コロナではじまりコロナで終えていく2020年だけど、大局的に言えば自然の成り行きである。人によるものだというウィルス陰謀論はさておき、基本的には自然に逆らえない事象だったと捉えていくほうがストレスがない。命の次に大切な産業へのダメージは計り知れないが、インフルエンザや風邪菌同様にこの先ずっとこのウィルスと共存しなければいけないことになってしまう現実から目をそらすことはできないのだから、潔くこの現実を受け入れるしかない。その中でサバイブしていく方法を見つけ出すしかないのだ。これまた全人類にとって平等なことだ。

僕はもう10年以上家にテレビを接続していないけれど、NETFLIXやAmazon Prime、Disney+などストリーミングサービスは楽しんでいる。本当に観たいものを好きな時間に楽しめる便利な時代になったとつくづく思う。

つい先日、米ワーナー・ブラザースが2021年公開予定の映画17作を、すべて劇場公開と同時に自社配信サービス「HBO Max」にて配信リリースすることを明らかにした結果、映画業界全体に大きな波紋が広がった。今までの常識がコロナによって(?)覆されようとしていることから批判も出ている。なぜなら映画業界全体の生態系が崩れることが予想されるからだ。大量に食えなくなる人が出るんだろう。「Disney+」のサービス開始の経緯は新作を劇場公開するより、ストリーミングで直接カスタマーに届けたほうが遥かに利益率が高いことがあるからと言われている。自社コンテンツだから尚更強い。あらゆる業界でビジネス情勢が変わっていく。

コロナが原因と言えばそうだけど、どの道生態系は変わっていくのでは?と思わされるニュースが今年は特に多い。

古い業界や既得権益の中で生きている人は変化が怖いのかも知れない。得てして新しい取り組みを懐疑的に捉える傾向がある。一方、新しい価値観を持って時代にアジャストし、生きる道を自分なりの視点で前向きに考えていく人にとってはおもしろい時代だし、チャンスがたくさんある。年齢も性別も過去の経験も一切関係ない。そういう意味でコロナ禍は社会の仕組みを良くも悪くも炙り出している。これを現代人にとっての必然だと捉えると自分の可能性もまた広がっていくように思う。必ずしもネガティブな事象ではない。

今の大学生が「安定した会社(社会)に身をおきたい」とどれくらいの人が思っているのか知らないけれど、いよいよ安定などまずありえない、という時代に突入している。

19年前の9.11、12年前のリーマンショック、9年前の3.11、そして今年のコロナ、と僕らは常に激しい時代を生きている。自然災害は毎年のようにどこかの地域で起きる。細かい事例を挙げればいくらでも出てくることは直近の歴史を振り返れば一目瞭然だ。こんな時代に「安定を求める」こと自体がナンセンス、ということにしておこう。

「世界は本当に広いから興味があることに向かって動き出そう」という話を自作タブロイド『TRAVELLING』持参で昨年こちらの大学で講義をさせてもらった。今は海外に行くのは自粛状態だけれど、できること、考えること、今日から動けることなどはいくらでもある。

「失敗したら笑われる」と思うことこそ「失敗している」んだ。大いに失敗しよう。失敗を笑い話にしよう。あなたの人生はあなただけのもので、誰に文句を言われるものではない。もっと自分の人生を生きていこう。両親に感謝して。

 

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