移住してからはもちろん、カメラやウェブを仕事にして以来かつてないほど、今仕事をしている。「おーい、トッティ。これを一人で本当にやる切ろうと思っているの?」と自問自答する。というか僕のまわりにいるクリエイター業の友人たちもみな激務だ。毎年この時期暇になる人なんていない。しかしなぜか心は躍動しているのだよ。クレイジーだ。

心は躍動する?どういうこと?

それは「人生100年時代」であり、僕は現役90歳を自分の生きる目標に設定したからだ。心身を磨き、ずっと現役で仕事をすると心に決めている。というかしたい。僕の会社ではじめてアシスタントを雇う人物も決めた。3年後に10歳になる息子だ。彼がそのときいやだと言わない限り、僕が持っている技術のすべてを彼に伝えていこうと思っている。僕の仕事を後継させたいという意味ではなくて、日曜日に一緒に遊べる時間が減る分、僕の仕事に同行させて一緒に時間を過ごしたいということ。

県内東西を愛車とともに走り回る日々に「自分のしたい暮らし」を体感する。鳥取や岡山にも行くし、福岡や長崎・五島、那覇まで行ったりもした。博多に前乗りして封切りされたばかりの『TENET』をレイトショーで観た。

一週間近く家に戻らない日もあるけれど、目の前に次々に現れる「やるべきこと」に向き合う日々で、あっと言う間に秋が過ぎ去ってしまいそうだ。僕の撮影機材システムはご機嫌で、おぼろげながら自分の映像の世界観が作られてきつつあるようにも思う。「こんな感じが今の僕が作るものです。」と。胸をはれるようなものも徐々にできてきたので公開できるタイミングが来たらこのサイトにもアーカイブしていきたい。

家族との時間を両立させるために精一杯時間をコントロールする日々。僕は妻に自分の仕事や、今やっていること、自分の身の回りに起きたことのほとんどを話している。会話がなくなることはまずない。当面の僕たちの目標は蔵庭の冬休みとともに訪れる家族時間だ。美味しいものをたくさん食べて自分たちにご褒美を買いたい。温泉旅館に泊まりたい。

 

この秋のエキサイティングな新しい兆候は、「新しい機材システム」がもたらしたものなのか?と突拍子もないことを考えてしまった。自分のやる仕事を助けてくれる仕事道具にとても愛着を持っているけれど、こういう情熱や愛情、愛着という自分から生まれる生命のエネルギーが物質的エネルギーとなって波動を起こし、人やコトの対しての「引き寄せの法則」を起こしているのかもしれない。

強烈に自分の仕事に愛情を持っているからとしか説明ができない。機材なんて所詮はモノであるだけなんだけど、メカニカルなこと以上に自分の向上心とやる気を掻き立ててくれるものだ。そしてそれは自分の身の回りの環境にエネルギーして放出されているんだろう。それ意外にどうやったらこの仕事連鎖や素晴らしい人との出会いの連鎖を説明できるというのだろうか。

ある小学生がイチローさんに「どうやったら野球がうまくなりますか?」と聞いたらイチローさんは「道具をきれいに磨くことかな」と言った。僕はこの話がとても好きなんだけど、うまくなることと道具をきれいに磨くことがどう関係あるのだろうか?と思わずにいられない。でもなんとなくわかる気がする。

僕はこれを量子論という科学で説明できるんじゃないかということをある映画を観て以来、まじめに思うようになった。知的好奇心なんだけど。「粒子と波動の二重性」「物理的過程の不確定性」「観測による不可避な擾乱」みたいな話だろう。うぅ誰かに解説してもらいたい、。

とにかくヒトやモノからくるエネルギーが今年は以上に高いように感じる。本当になぜだろう。

7年前に出会った友人と今年の2月に兵庫・赤穂の仕事で偶然再会した。今彼女は「旅する料理人」と名乗っていてあちこちからひっぱりダコになっていた。この10月に彼女は島根で仕事をする機会があり、僕が「1週間くらい滞在しちゃいなよ」と誘い、彼女はそのまま浜田に滞在した。いつも楽しい現場の仕事で僕に声をかけてくれる東京のインバウンド観光に特化した会社があって、そこにいる仕事パートナー女性も一緒に滞在することに。どれだけ楽しいことが続くのだろう?(彼女のいる会社から派生していくつかの会社とも仕事をする展開になり、本当にワンダーで、お祭り状態になってきた。)

人のつながりで生かされていることをここまで感じた一年は人生ではじめてかもしれない。

トップの写真は「旅する料理人」の友人。浜田にいる仕事仲間や友人たち、港の漁師さんたちも加わり、素晴らしい時間を過ごした。いろんな意味で僕が言い出しっぺだったんだけど、こんなことをしたのはこの6年間の島根暮らしではじめてのことだ。たくさんの人たちに親切にしてもらった。

 

昨日、浜田で開催されたトークイベントで登壇する機会があった。その中で6年前に移住したとき、「この5人(5社)から仕事を依頼される自分になれたら僕は島根で生きていける」と心に強く刻んでいた、というようなことを話した。当時の僕が感じた「イケてる5人(5社)」だ。

今やこの5社からは複数の案件を同時に任されるようになっていて僕のオフィスのホワイトボードにはびっしりプロジェクトが並んでいる。年末まではまったく落ち着けないけれど、今僕が稼げるのはこの5社の人たちからはじまった人的ネットワークのおかげである。そういう初心を思い出すことで明日からの仕事もまた心穏やかにスタートできるというものだ。

明日は朝5:30出発。心がドライブしている。