サーバーの引っ越しからリニューアル作業を決めた

todakoichiro.comというブログは自分で仕事をやろうと思ったときにまずやりたいと思ったことだった。Wordpressというシステムを使うことだけはわかっていたけど、どうやったらいいのかさっぱりわからなかったので1日限りでサイトの立ち上げまで教えてくれる講座に行った。今から約8年前の話。

自分のウェブサイトを持つことの意味合いはとても大きい。どんな職業でもモノや活動が存在する。それを世界の誰かに見れるようにしてあげることがウェブサイトの意味であり、意義だ。そこにはもちろん自己PRも大いに含まれる。これで世界に自分の存在を知ってもらえるチャンスを得れるし、スタートラインに立てる。地味に喜ばしいことだ。

作家の佐久間裕美子さんがブログの中で、こんな風なことを書いていた。

しばらく前に、女性を対象にしたトークイベントに出たときに「佐久間さんにとって、日本の女性はどう見えますか?」という質問に、とっさに出た答えが「自己肯定感が低め」だった。 しかし、これはこれは、何も女性に限った話ではない。 なんでそう思うかというと、私が普段、イベントなどをやっていて会いに来てくれる人が自己紹介してくれるときに「私は〜〜〜なんですが、〜〜〜」」と、まず自己を否定するようなことを言うなと思うことが多いのである。

これは少し歪曲すると「自分のことが好き」というのを恥ずかしいと思っている人がいかに多いかを教えてくれた。謙遜が美徳であるという価値観がそうさせているのかもしれない。自分の名前を前面に出すこと=ドメイン名が自分の名前、ということは「自分が好きだねー」と解釈することもできるんだろうし、友人の何人かにも言われたことはある。

僕は自分をずっと好きでいたい。

というのが本音である。むしろ自分のことをなんで好きでいられないの?と疑問を持つし、自分を何より大切にしてあげることは間違っていないと思っている。「そうだけど、いちいち口に出して言わないだけだよ。」と思う人はきっと多いだろう。でもそれが先の「自己肯定感低め」ということになって行動に表れる。個人主義の国にいれば自分の意見を言ったり、手を挙げることが必然というか、そうしなければとても生きていけない社会構造になっているからアイデンティティの確立は優先される印象がある。

自分で仕事をしはじめてから戸田耕一郎という名前が好きになったというのは妙な話だ。自分の名前で仕事ができる快感は麻薬的でもあり、もはや歯車の一部(=自分でなくてもいい仕事)にいることは物足りなく思うようになってしまった。

ああ、サーバーを引っ越した話だった。

そんなわけでずっとこのドメインでブログを書いているんだけど、古くなったサーバー(アップデートを放置してしまっていただけ。)を更新したかったのが大きな理由だ。ちょうど今コロナショックを機に妻と焼き菓子ブランドを新しく始めようとしていて、新たにウェブサイトを作る必要がある。契約したサーバーは仕事で多用していることもあり、パフォーマンスも使用感も気に入っていたのでこちらに自分でやっているサイトのすべてを移行しようと思った。

必然的に蔵庭やベジ&フォークのサイトも別のタイミングで引っ越しをしようと思う。これで心機一転、クリーンに運用サーバーを一本化できる。あちこちにサーバーがあると面倒くさし、コストももったいない。部屋掃除と同じくウェブ掃除も必要だ。

わけもわからず、それでもウェブサイトをなんとか使いこなしたくて触っているうちに仕事になってしまった。背伸びをしながら受注していたことも否めない。ただウェブサイトに関わる仕事が今も好きで、自信を持って人に伝えることができている。クライアントワークであったとしてもまるで自分の作品のように愛着を持って接しているウェブデザイナーはきっと多いはずだ。

もっともウェブサイトを立ち上げて運用する、ということについてはたくさんのことを依頼主に伝える必要はあって、いつも価値観の押し付けにならないようにギリギリのところでやりとりしている。僕の話が正しいかそうでないかというよりも、やろうとしている活動目標に対してロールモデルになりえる人がやっているウェブ表現や継続性、コンテンツ力は参考にすることをおすすめしたい。どんな世界でも自分よりそれをうまくやっている人が必ずいるものだ。真似しない手はない、と僕は思うのだけど。

さて、コロナショックでたっぷりあったはずの時間が緊急事態宣言が解けるタイミングですぐになくなってしまい、リニューアルが思いの外進まなくなってしまった。ようやくリリース。これからまた自分のサイトを愛でていこうと思っています。どうぞよろしく。

戸田耕一郎