In Diary

近々に島根大学のキャリアデザインの授業で講義させていただく機会を得た。担当の先生と仲が良いこともあったし、おもしろそうなので快諾した。

文部科学省は、「キャリア教育とは、一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」と定義付けている。ここで言われているキャリア教育のステージは学校を指し、「キャリア」とは、自分が担っている役割の価値や自分と役割との関係性を探し出していくことにあり、必ずしも職業や技能上で積み重ねられた経験だけをさす言葉だけではない。(そういう意味で使われることがしばしばだけど。)

浪人して、大学をただただパラダイスとして過ごし、好き放題やって遊んだ20代と、「いい加減何かしないとやばい。。」と焦り気味な30代序盤という僕のこれまでを振り返ったとき、国立大学の学生くんたちになにを届けられるかと思案しているが、「こんな風に人生どうなるかはわからないものですよ。」ということだけは胸を張って言えるだろう。そして健康であり続ける限り、僕は85歳くらいまで現役で仕事をしていたいと考えている。まだまだ先は長い。余談だけど広島で91歳のフォトグラファーおばあちゃんが写真展を開催するニュースを知ってびっくりした。素晴らしい写真とともに希望がある話しだ。

人生はすべて点でつながっているというフレーズは偉大な人が残した名言である。これまで自分で決めた選択の連続が現在地を導いているという話。たしかにそうだ。

けれども、40代になった今思うことは前を向いて生きる限り「過去は一切関係ない」ということだ。明日何しよう、来年何しよう、数年後までにこれをやりたい、ということはいくつになってもどんな環境下にあっても決められるし、そっちに向かうことができる。ストレスを感じる人間関係をさっさと断ち、より強い個人を自分自身でつくる。ここで拓けた世界はまぶしいくらいに無限に広がっている。日本に蔓延するのは見えない同調圧力。「みんなが…」という言葉の鎖にグルグル巻かれていることは恐怖だとさえ僕は思う。

なんてことを新入社員の就職先でしたらたちまち周囲の人に嫌われるからとても口に出すことではないけれど、自分の世界でものを考えることだけは誰の制限も受けることはない。本を読むこと。なにがいいって自分がニュートラルになれることだ。素直になれる。

そもそも何をどう考えるのかは自由なことで、この国においてはそういう自由がある社会で僕たちは生きているんですよ、という話しをすることになるだろう。アウトプットしながら僕もよい経験をきっとさせてもらえるに違いない。

 

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