In Diary

三瓶山の麓で行われているグランピングのロケがあった。そのまま翌朝は朝5:00から大平山で朝日を見ながら朝食を食べるというコンセプトの「天空の朝ごはん」の撮影もあって久しぶりの4時起き。半袖は若干涼しかったけど7:00過ぎには相変わらずの猛暑になった。

グランピングを仕掛けているのは東京のプランニング会社。インターバルはありつつ、昨年春からのお付き合いがある。僕が言うのもなんだけど、とても上手に石見の地域に溶け込んでいると感じる。イベントやツアー企画なんて地元との連携が全てと言ってもいいだろう。ゆるやかに周囲は巻き込まれていくんだけど、そういうところのコミュニケーションはがとても自然で「上手だなあ」と感心してしまった。

広告プロモーションとか代理店系の人にもいろんな人がいて尖った雰囲気で作っていく人もいるけど、もっとも重要なのは関わる人が集まる現場に漂う雰囲気づくりだと僕は考えている。つまり目に見えないところの動きに重要なポイントがある。コーディネイトとかコミュニケーション、準備とか気遣いとかそういうところ。特に田舎ではここの出来でプロジェクトの成功が左右される。逆に目に見えるのはクリエイティブでそういうところでもちろん世界観とかイメージは伝わっていくし、印象が残るわけだけど、つまり表と裏みたいなものかなあ。イメージがかっこいいからうまくいく、なんてことは絶対にないのだ。

僕はクリエイティブの部分で協力させていただいている。相変わらず楽しい人たちでおもしろかった現場ですといういつもの話なんだけど、彼らを見ていて気づきをもらった。

前回のブログの中で『現に僕も「〜であるべき」と思っていることが人間関係の中で変換しなければいけないと思うような事象が起きたりもする。本当に人の考え方が多様になっていて、人は人として受け入れる器を持っておかないと疲れてしまうことはある。』ということを書いた。

島根に移住するもっと前、自分で仕事をしようと決めた頃から一貫して「自分はこうあるべき=だから他者とはこういう風に付き合いたい=なぜなら自分をしっかり確立しなければいけないからだ」みたいなことを強く意識していて、それはまあ今ももちろん変わらないんだけど、自分でこうあるべき、僕はこうだと思って行動したり、発言していく中で実は言い過ぎてしまった、誤解を与えてしまったということが最近あった。相手と話し合ってよくわかった。

もう少し「〜はこうあるべき」という縛りから離れてみようと思った。変わらないことや変われないこともあるし、年齢を重ねていくと妙に頑固になってしまうこともある。そんな自分だけど少し相手を受け入れる努力をしていこうと。

彼らの会社はあらゆることに対して「寛容」だった。

刺々しいことが全くないので場が常に気持ち良い。具体的に書きたいことは色々あるけど、簡潔にいうと柔軟な組織体系や組織なんだけど「個」の働き方をしている現代的な、進んだ考え方とアイデンティティのある会社だ。すごくやわらかい。

寛容な人は多かれ少なかれ精神的に満たされている、と思う。社会的にだったり、経済的にだったり、自己実現的にだったり。バランスシートに表したらかたちが良さそうな。だから広告コミュニケーションという業界で仕事ができるのだろうし、ビッグクライアントとやりとりできるんだろう。

自分をそれなりに満たしてあげないとなかなか人にやさしく、寛容になることは難しいのではないかと思うのだよね。そういう人の精神構造(?)みたいなものに興味がある。自己愛ってとても必要なものだと僕は思うんだけどな。

きっと彼らに聞いても「え、全然そんなこと気にしてないんですけどねえ。」とか言うんだろう。

 

 

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