In Diary

Vege&Fork休止については、少なくともSNSの書き込みやメールやメッセージをくださる方々はみな理解を示してくれていて「?」とは誰からも言われてはいない。まったく見ず知らずの人が反応してくれるところを見ると誰かが思った何かを代弁したのかもしれない、と思うところもある。

もし文句を言われたり、まったく理解されなかったとしてもどこまでもひとつひとつ説明できる準備はあるのでそうなったらちゃんと対応しようとは決め込んでいた。今は少しだけほっとしている。いずれにしてもわかってもらいたい人にわかってもらえたという手応えを感じたのでようやくここ数年考えていたことに区切りを作れた。

それはそうと、ここまで一緒にVege&Forkを運営してくれたチームのみんなにもこの決断を尊重してくれてありがとうと言いたい。みんな東京にいるけどまた会って話したいなと思っている。

何かこれというものが見つかった時にVege&Forkを再開する日はあるかもしれないと思ってはいるけれど、そう思えなければ動くことはないだろうし、同じことをやるつもりはまったくない、ということだけははっきりしている。

そもそもの話として「続けることの美学」を説く人は結構多い。

続けることはいいことだという言説が前提にあるのだろうと思う。たしかにずっと同じことをやっているというのは格好いいようにも思うし、格好良く見えることはある。僕もそう思っていたことはある。

結果的にVege&Forkをやりながらそういうものは薄れてきたというか一切考えなくなった。

少しつっこんで言うと、続けることに意味はないと言いたいのではなくて、何を考えて続けているのかということは問い続けた方がいいと思うようになった。

人のことや他人のことを気にして続けること、何かを我慢してでも続けること、を優先してしまったら僕は続けることへの美学なんてものは全く感じない。むしろ「なんで?」と思ってしまう。自分が心底「これを続けていきたい」と思わない限り、続けることにはさほど価値が見出せない。だから盲目的に続けることはいいことだ(いつかよいことが起きる)と信じ切ってしまうことには少々気をつけたい。続けることを目的にしても意味があるとは思えない。

今回のVege&Forkの一件はとうとうこの境界線に僕が立ったということだ。だからはっきりと決断が下せたんだと思う。

40を過ぎた頃から時間がいかに大切かを感じる瞬間が明らかに増えた。当たり前だが時間は有限だ。

無駄を省いて省いてとまで頭をガリガリにチューニングしてはいないし、無駄なことは相変わらずやっていると思うけど、自分が何をやらないか、やりたくないかだけはよくわかっているので、その判断はほぼ迷うことはない。(そうするとおもしろいもので「変な話」「変な仕事」「変な人」が一切近づいて来なくなる。他人はほんとに自分の鏡だ。)

本来夢中になれていれば、これを続けているかどうかなんてことを考えることなど一切ないものだ。振り返ってああこんなに時間を費やしたんだなと思えるくらいが丁度いいように思う。僕が今やっている自分の仕事やスキルは独学だけれど、「続けよう」と思ったことは一度もない。

つまり、「がんばって続けなきゃ!」と思ったその時は、もう転機が訪れているタイミングなのだろう。境界線に立っている。

 

Fathersで妻の誕生日ディナーをした。息子もずっと落ち着いていてくれて、久しぶりに妻と4時間以上も話し込んでしまった。

 

 

 

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